
わたしたちの世代をいつからこう言う呼び方をするようになったのか
1947年〜49年生まれを「ベビーブーマ」とも言っていました。
わたしの兄が47年生まれ、実家で過ごした時代には
近所にこの47・49年生まれの兄弟、姉妹が一杯いました。
わたしの通った小・中学校は大阪一のマンモス校で
中一時には3600名の生徒が在籍
昼食時には食堂利用者が長蛇の列をなし、
並ぶのに30分、食べるのに3分でした。
日給が600円つまり時給66.6円
高1時にアルバイトをやり9時間労働で日給600円
今大阪の最低賃金の時給以下 当時まあ物価も違いますが
レコードのドーナッツ盤が330円と思います。
LPで1000円台後半だったと記憶にあります。(当然買えない)
たばこのハイライトが70円、わたしはロングピ−ス派で100円
パチンコは1玉2円で、「終了は2000個」(めったに取ったためしなし)
コーヒーが50〜70円くらいだと、きつねうどんも同価格
勉強はほどほどに、深夜放送に夢中
この頃から「ながら族」ができたのか、ラジオ放送を聴きながら
勉強する学生が多かったと思います。
勿論わたしもその一人で、セッセとリクエストを出し
読んでもらったらクラスメイトに自慢
ラジオ大阪の深夜番組で毎日出演者が変わり
笑福亭仁鶴さんの番組をよく聴き
「わたしの周りはネコはいだらけ」と言う言葉が流行った
VAN,JUNの袋が街にあふれた
当時のファッションは、アイビー(トラッド)全盛で2代ブランドの
袋を持ったわたしたちが街のいたる所で見られました。
わたしはVAN派で、靴はリーガルのおかめ(ウイングチップ)
ニューポートジャケットにホワイトのボタンダウンシャツ
チャコールグレーのテパードパンツ(こんな格好が多かった)
車はスカイラインGT−Rにあこがれ
60年代後半には学生運動が下火になり、時期を同じくして
ヒッピーがはやり、長髪にヒゲをはやしベルボトムをはいた
集団が対極にありました。
これ以降特に女性は適齢期に入り、やがて「第二次ベビーブーム」が起こる
中略
やがて受身の世代に
2007年に47年生まれが定年退職に入り、にわかに団塊世代が注目をあびる
2012年には年金受給世代になり、10数年後には
「支えてきた世代」からやがて「支えられる世代」に
若い頃は老人を見て「年をとってもアアはなりたくない」と
その時期にわたしたちも、遅かれ早かれ入ろうとしています。
わたしも最近よく考えることがあります。
60年間なにしてきたのか?・・・まだ20年ある
人生楽しまなきゃ
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